Blowin'! Diary
2011-06-23T00:23:16+09:00
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毎日を、楽しく、 ちょっとかっこよく行こう。 メインHPはこちらッス。
Excite Blog
5/10 微量放射線は体にいい?
http://blowin.exblog.jp/16308715/
2011-05-10T13:51:00+09:00
2011-06-23T00:23:16+09:00
2011-05-10T13:52:33+09:00
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未分類
「一般人より被爆量の多い放射線医は、一般人より寿命が長いという研究論文がある」
というのである。放射線により免疫力が活性化し、病気にかかりにくくなるのだそうだ。
そういえば、ラドン温泉とかラジウム温泉ってあるよね。ごく微量の放射性物質が含まれる可能性のある野菜や水を忌避するわりに、放射性温泉はありがたがって入浴したり飲んだりするのは、何なんだ。街なかの銭湯でもラドン温泉やってるところもあるが、「被爆しますから毎日入らないでください」なんて書いてあるのは見たことない。むしろ、毎日入って、入浴中は深呼吸しましょうなんて書いてあるぞ。あれに毎日入るのと、某県産の野菜を毎日食べるのは、どう違うんだ。
というわけで、ほんの少し調べてみた。
確かに、そういう研究は存在する。イギリスの放射線医を追跡した調査、アメリカの原子力船工場の労働者を一般船工場の労働者と比較した調査など。そして、微量の放射線被爆により、ガン死亡率も全死亡率も20%前後低下している(!)という結果が出た。
「微量」というのが少々厄介だ(放射性物質の量・放射線の量・放射線を人体が吸収した量はそれぞれ単純な換算ができないため)。しかし、この結果からは、放射線被爆量が増えるにつれ、人体は「ちょっとすぎて毒にも薬にもならない」→「微量被爆で死亡率が下がる」→「度を越えた被爆で死亡率が上がる」という反応を示すといえそうだ。そして、少なくとも今回の「放射能汚染された」野菜や水は、普通に食べた場合、「毒にも薬にもならない」と「死亡率が下がる」の間にあると考えられる。
放射線防護が不十分だった昔の放射線医は確かに「微量」を超える放射線を浴びており、死亡率は高かった。しかし、「汚染された」野菜や水が、そのレベルに達する放射線を発しているとは考えにくい。これは、一回食べた場合も、継続して食べた場合も、同様であろう。(たとえ、政府発表の数値がサバを読んだ数値だったとしても。)
というわけで、この結果がもっと広く公表されれば、みんなこぞって某県産の「汚染野菜」を買いあさるようになったりして?
追記(6月21日)
放射線技師や原子力船工員のように外部から放射線を浴びる場合と、放射性物質の含まれる食品を摂取して体内被曝する場合を、同列に扱ったのは、乱暴だったかもしれません。避難生活を強いられている方、周辺地域で被爆が現実問題となっている方には、誤解を生じる内容だったことをおわびします。
ただ、「被曝はゼロに近ければ近いほどいい」という考え方には科学的に疑問が残りますし、それで追いつめられる人々がいるのなら、不幸なことだと思います。
世界基準から見て際立っている日本人の清潔観は、神道の穢れを嫌う考え方に端を発しているのではないかな、などと思ったりもします。]]>
4/30 台湾でちょっと感動した話
http://blowin.exblog.jp/16269242/
2011-04-30T23:54:00+09:00
2011-05-02T01:06:07+09:00
2011-05-02T01:06:07+09:00
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まあ、いろいろあったのだが、とりあえずちょっと感動した話をひとつ。
ある晩、テレビを見ていたら、台湾のプロ野球の試合を放映していた。
バッターボックスの後ろのバックネット、ちょうど打者の頭の上くらいの高さに、「加油!日本 がんばれ!日本 加油!日本」と、中国語と日本語の両方で大きく書いてあった。その文字は、試合の間じゅう、テレビに映っているのである。
選手のヘルメットの横にも、「がんばれ!日本」というステッカーが貼ってあった。
台湾のプロ野球を、日本国民のほとんどは目にすることはないだろう。でも、そこに日本へ向けたメッセージがある。日本語で書いてある。
もっとたくさんの日本人が、このメッセージを知ることができればいいのに、と強く強く思った。]]>
4/6 366連休
http://blowin.exblog.jp/16157182/
2011-04-06T23:58:00+09:00
2011-04-07T15:31:04+09:00
2011-04-07T15:31:04+09:00
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2月下旬に、労使の対立を一気に解消するすばらしい意見の一致があり(「こんなとこでこれ以上働けるか!」vs「経営悪いから契約更新なしね」)、一応自分では刺し違えたつもりでいるのだが、実は巷にはびこる「雇い止め」にすぎなかったりする。派遣村入れてくれるかな。
実際には俺が啖呵切ったわけではなく、俺が上司に辞めるとお行儀よく伝えたときには本部ですでに俺のクビは決まっていたようで、3日後にぺらっと一枚通知書が郵送されてきて終了となった。「ぺらっと一枚」というところにやりきれない怒りを感じるのだが、「それがこの会社のやり方だもんね」と、職場の人ほとんどがあきらめた口調で同情してくれた。
丸一年定職につく予定はないので、336連休である。
もう一週間たとうとしている。早いものだ。身辺整理や公的手続きやちょっとしたバイトで、けっこうバタバタとしている。
今日は夕方から鍼を受けてきた。先生の第一声は「退職おめでとうございます」だって。
治療をしながら、「ストレスって怖いですねえ」と何度もしみじみと言うから、何のことかと思ったら、俺の体、退職したとたんに一気にこわばりが取れて柔らかくなったんだそうだ。前はまるでビーフジャーキーか冷凍魚かという固さだったとか。
「しばらくは好きなことだけして養生したらいいですよ、神様がくれたご褒美だと思って」
そうですね、ありがとうございます。実はもとよりそのつもりである。
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3/4 「世界に一つだけの花」が嫌い
http://blowin.exblog.jp/16009251/
2011-03-04T23:47:00+09:00
2011-03-04T23:52:39+09:00
2011-03-04T23:48:08+09:00
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俺はこの「世界に一つだけの花」が嫌い。って言うと、なんでこんなステキな歌の良さが分からないの?と人でなしを憐れむような目で見られそうなので、あまり言わないのだが。さっき「世界に一つだけの花 嫌い」ってキーワードでGoogle検索したら、けっこう嫌いな人もいるんだね。養老孟司さんも嫌いなんだって。
嫌いな理由もいろんな人が発言しているから、今さらな気がするが、俺はこの歌詞は「甘やかしてスポイルしちゃえ作戦」としか思えない。
今のままでオンリーワンなんだからそれでOKだよ、ってのは、言われる側からしたらとても耳に甘い言葉だ。努力する必要がないのだから。そう、僕も君も彼も彼女もそのままで価値がある。わざわざ苦労して高みを目指す必要はないさ。自分を変える必要もない。そんなことしなくても、僕にはもう価値があるんだ。
そして、みんな人の忠告にすぐキレる俺様になってしまいましたとさ。
あのね、人間、ナンバーワンを目指してもナンバーワンには多分なれない。でも、登れないかもしれない山に挑むのはしんどいから、手元にあるおもちゃで遊んでればいいよ、って、これから羽ばたく後輩に俺たち先輩が言っちゃっていいわけ?
こういう甘ったるいお菓子のような歌が受け入れられる社会、こういう甘いメッセージを後輩に贈るのが優しさだと思ってる社会、それ自体に俺は腹が立つよ。
その延長にあるような気がしてならないのが、このニュース。
携帯カンニングの犯人を逮捕させた京大に、批判の電話が集中しているんだそうだ。「予備校生がかわいそう」「監督者にも不備があったのに、逮捕させるなんてひどい」なんて寝ぼけた意見があるそうだ。
そういう批判をする人は、自分の家に泥棒が入って「あんたの財産の管理に不備があったから盗んだんだ」って言ったら、許すんだろうね?
監督者に不備があろうがなかろうが、カンニングは悪。悪いことをした者が罰せられるのは当たり前。京大が取った毅然たる態度は、俺は正しいと思う。そうでないと、蟻の一穴で、そこから入試制度は崩壊しかねない。
なんかたるんでるよ、この社会。と、柄にもなく吼えてみました。]]>
2/18 OD色のアンダーアーマー
http://blowin.exblog.jp/15999035/
2011-02-18T23:07:00+09:00
2011-03-02T23:27:09+09:00
2011-03-02T23:27:09+09:00
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俺はアンダーアーマーの製品をトレーニングウェアや下着や防寒着に利用しているのだが、以前から、自衛隊には隊内でしか買えない限定色のアンダーアーマーがあることを聞いていた。OD色といって、アースカラーというか、オリーブ色のような色だ。なんでも、隊内では下着までこのOD色でなくてはならないらしく、自衛官には必需品なのだそうだ。
で、無理を言って手に入れてもらったのが、これ。
光の加減で少し緑がかって見えるが、実際はもう少し渋い茶に近い色だ。まあ、機能的には、普通に買える裏がボアの防寒のアンダーアーマーと同じなのだが。
くだんの彼は、ハイチに災害援助隊で長期派遣されることが決まっている。ぜひとも無事で任務を果たして帰ってきてもらいたいものだ。]]>
2/1 退院
http://blowin.exblog.jp/15901775/
2011-02-01T22:13:00+09:00
2011-02-11T13:38:58+09:00
2011-02-11T13:38:23+09:00
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知り合いの鍼灸の先生が、退院したら鍼を受けに来るように言ってくれていたので、さっそく行ってみた。
問診で症状を話したら、それはしんどかったでしょう、と言ってくれたのは、たぶん誰にでも言っていることなのだろうけど、ちょっと心に響いて泣きそうになった。泣かないけど。
「肝炎は、赤・黄・青・白・黒を食べるように、と言うのですよ」
何のことかと思ったら、食材の色のことで、赤・黄・緑の野菜と、白米、黒い海藻を毎食食べるようにという意味なのだそうだ。そういえば、病院食でやけに海藻類が出るなと思っていたのだ。そういう意味だったのか!
今回のように腸炎や肝炎が発症したのは、根本には俺の体にたまっていたストレスや疲労があったらしい。それが警告として出てきたのだから、もっと溜まって大病として出る前にこういった形で出てきたのは、普段が健康体だったおかげであり、まだよかったと思ったほうがいいと言われた。
下半身、特に脚の外側に沿って鍼を打ってもらい、さらに背中、お腹と1時間ほどかけて鍼治療を受ける。股関節や腹まわりを触りながら先生は効果を確かめ、鍼を動かし(そのたびに体の中でずーんとする感覚「響き」がある)、そして「凝り固まっていたのが開いてきた」という表現を使っていた。鍼灸師の指の感覚は、俺たちの指とは違うものを感じることができるらしい。
鍼を受けて張りが出た、とでも言いたいところだが、実は一時的に悪いものが表に出てくるとかで、帰りには体調はむしろ悪くなった。腰もだるくなったし、だるさも増したし、顔色も悪くなった。でも、これを続けることで肝臓を整える助けにはなるそうだ。
もとのようにバリバリ体を動かせるようになるまでには、もうしばらくかかるみたいだ。]]>
B型肝炎にかかった(経過編2)
http://blowin.exblog.jp/15847450/
2011-01-31T16:38:00+09:00
2011-01-31T16:46:03+09:00
2011-01-31T16:38:29+09:00
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1月6日
この日の検査でALT2400台という最大値をたたき出す。この3日間、午前中は少し具合がいいが昼から気分が悪くなるというパターンが続く。食事も食べたものが消化されないうちに次の食事の時間が来てしまうという状態で、ついにこの日夕飯前に吐いてしまい、夕飯が食べられなかった。
やはり劇症化が一番怖かったので、夜中に意識を失ってたらどうしよう、などと想像してしまう。主治医はちょっと暗い感じの若い女医で、検査値が悪いというのを暗い声で伝えに来るだけで見通しを説明してくれないのも、余計に悪い想像を喚起された。B型急性肝炎は安静以外の手の施しようがないので、看護師さんも定時に体温と血圧を測りに来る以外は基本的に放置状態である。
知人の医師が、「値が高いのは、壊される肝臓の細胞がまだあるってこと。完全に肝臓が壊れたら、その値は逆に一気に下がるから、今は大丈夫、我慢して」と励ましてくれたのは、本当にありがたかった。
1月11日
検査値はこの日までじりじり下がって1500台まで下がった。体調も起きづらいほど苦しいということはなくなった。ただ、食欲はやはり出ない。土日に見舞いに来るツレが差し入れを持ってきてくれるのだが、おいしそうだからとパン1個でも食べると、夕飯がのどを通らなくなってしまう。無理やり全部食べると、苦しくてたまらない。
毎夜、眠れなくて困る。昼間も安静状態でほとんどベッドにいるから夜も眠くならないし、体はかゆいし。うとうとしても、すぐ目が覚める。時計を見てもまだ1時くらいだったりする。毎日、食事の時間と夜が来るのが憂鬱だった。
1月17日
この週から黄疸が出た。白目が黄色くなり、肌もなんとなく黄色っぽい感じ。あと、尿が褐色になり、逆に便は茶色と灰色のまだらになる。(汚くてごめんなさい。下痢はこのころには止まっていた。)便の茶色は胆汁の色だが、急性肝炎では胆汁が消化管に正しく流れないので、色の抜けた便が出る。その分の胆汁は血液に流れて肌を黄色くさせ、最終的に尿に出るので尿が茶色くなる。
黄疸が出ると急性肝炎は一週間程度で終息に向かうという情報があったので、ちょっと期待していた。というのも、いったん下がった肝機能の数値がまたじりじり2000まで上がっていたからだ。
この日は一時外出で半日だけ仕事に行った。体力は戻っていると思っていたが、やはり疲労感は強かったので少しショックだった。
1月21日
肝機能の数値が下がらない。ウイルス量も減らない。2週間以上も変わらないというのは長すぎるらしい。素人考えだが、腸炎で免疫力が疲弊しているところに肝炎を起こしたから、ウイルスを排除しきれないのか? この状態が長く続くのは肝臓に負担になるので、翌週から抗ウイルス剤を使うと主治医に言われる。
体調は相変わらず良くも悪くもないが、このころまでに精神面のほうがかなり煮詰まってしまっていた。仕事は来週に大きなイベントが控えている大事な時期だったからあせりもあったし、病室に閉じ込められた状態がなんとも我慢できなかったし、食事も、申し訳ないが、まずい。「肝臓食」というのが出るのだが、味が非常に薄く、魚も肉も油を極限まで排したパサパサの調理、野菜は和え物か煮物ばかり。それが三度三度毎日毎日来る日も来る日も続くのだ。お盆ごとひっくり返したくなるときもあった。
1月24日
抗ウイルス剤ラミブジン開始。薬剤師がわざわざ病室までやってきて、毎日忘れず飲むよう、決して自己判断でやめないよう、注意して行った。B型急性肝炎は本来ならこんな薬を使わなくてもたいがい治る病気のはずなのだが、なんで自分だけが治らないのかと無性に腹が立つ。薬の効き目はどうせすぐには出ないだろうから、あと1週間は入院しとけと言われたようなものだ。むしゃくしゃして何かに当たりたい気分だった。
そして一週間、早く治したいので、食後2時間はベッドに横になるというのをこれまでにも増してきっちり守るようにした。看護師が「あらまだ眠いの、もう10時よ~」などと言っていたが、あんたらが最初に言ったとおりにしてるんだから、ほっといてくれ。
そのかいあってか、今日の検査値はALT600台。ようやく退院が見えてきた。
しかし、これで終わりではない。このまま慢性肝炎になる可能性が10%ある。何ヵ月かは、薬を飲み続け、ウイルスの動向を検査し続けなくてはいけない。
1ヵ月の入院というのは、体力、精神力、ライフスタイル、仕事、あらゆる面にかなり大きな影響を及ぼすものだというのが今回の実感。かかる前は「運が悪かったらそういうこともあるかもな」と思っていたとしても、いざ当事者になったときには、これを「運が悪かったなあ~」で果たして済ませられるだろうか?
しかし、もし急性肝炎を発症して、回復期になっておらず、入院をすすめられて迷うような状況だったら、俺は入院をおすすめする。やはり自宅療養では安静にも限界があるし、もし劇症肝炎に移行したときに病院にいれば手遅れにならずにすむ可能性が高くなるからだ。10年以上前に救急外来にいたという知人の医師は、救急車で搬入された劇症肝炎の患者を何人も診たが、そのころは9割が亡くなったと言っていた。俺もその医師のアドバイスに従ってよかったと今では感謝している。
もし感染ルートをとやかく聞きたがる同僚や親がいたら、前にも書いたように、「わからんなあ、床屋か銭湯でかみそりからうつったかも」とでもとぼけておけばいい。潜伏期間が長くて半年とあっては、他人には原因追及は無理だろう。
好きなものを食べて、愚痴を言いながらでも仕事ができて、体を動かせるってことが、どんなにステキなことか、退院したら心から実感できそうだ。]]>
B型肝炎にかかった(経過編1)
http://blowin.exblog.jp/15847299/
2011-01-31T15:54:00+09:00
2011-01-31T16:40:28+09:00
2011-01-31T15:54:58+09:00
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実際に急性肝炎を発症してしまい、検査の数値がなかなか下がらないと不安になる人も多いだろう。今回の経過について、日を追ってどんな症状が出たかを記録しておくので、参考にしていただきたい。
まだかかっていない人も、かかるとどうなるかということは知っておいても損にはならないと思う。はっきり言って、自分の感覚では十分働けるのにいやおうなく病院に留め置かれるというのは、かなり苦痛である。
ちなみに、B型肝炎ウイルスの潜伏期間は1~6ヵ月。感染しても、半数以上の人は無症状で終わるらしい。俺のように急性肝炎を発症するのは数割、そして急性肝炎の1%は劇症肝炎となる。自宅療養中に劇症肝炎になった場合、救急車で運んでも救命率は30%程度ではないかと知り合いの医師は言っていた。
そして、無症状の人もひっくるめて、感染者全体の10%程度が慢性肝炎になる。ウイルスは体にいるが、息を潜めているので免疫では排除できない状態。これは長い期間の後に肝硬変や肝臓癌に移行する可能性が高い。
12月7日
肝炎の発症とは関係ないが、感染性腸炎で激しい下痢と発熱に見舞われる。病院にかかって、3日後に職場復帰。
12月21日
この日までは普通に仕事も空手もやっていたが、やけに疲れやすいなという感覚はあった。それと、ずっと下痢が止まらない。この日の2日ほど前から、足の甲に赤い発疹ができ、それが下半身に広がって猛烈にかゆくなった。この日は夜も眠れず、仕事も手につかないほどのかゆさだった。
12月22日
下痢と発疹のかゆみで、家の近くのクリニックにかかる。年配の先生は、何か普通でないと見抜いたらしい。下痢が3週間続くのは異常だし、発疹もじんましんではないと言われ、血液検査を受けることになる。結果は24日に出るとのこと。この日はアレルギーを抑えるステロイド薬をもらった。これでかゆみは劇的に改善した。
12月24日
血液検査の結果、肝機能の異常が見つかる。ALT(GPT)が500。健常者は35以下だから、えらい高さである。週明けに総合病院を受診するように言われる。この日はA型肝炎の検査も受け、週末に結果が出ると言われる。B型とC型は別のところで受けていたので、この日は受けていない。
12月27日
朝にクリニックでA型肝炎陰性の結果をもらったあと、総合病院を受診。ALTが1100mまで上っている。エコーでは、肝臓が少し腫れていると言われる。この日は下痢止めだけ処方されて帰った。
夜に、別のところで受けていた性感染症検査の結果が出る。B型肝炎だけが陽性。これで、症状もすべて説明がついた。
12月28日
総合病院で前日の結果を伝える。ちょうど年末年始の休みなので、養生しながら様子を見るようにと言われる。B型急性肝炎は、普通薬を使わない。ウイルスが免疫で排除されて肝臓の機能が自然回復するのを、ひたすら安静で待つしかないのだ。
12月31日
前日あたりから、腹の上のほうが張ったようになって、食欲がわかない。そしてこの日の朝、首と肩が寝違えたようにがちがちになり、朝からひどい頭痛に見舞われる。目の奥がガンガンするかんじ。バファリンを飲むが、薬が切れるとまた痛くなる。
下半身の関節も痛くなり、立ち上がるのにも10秒もかかるほどになる。高齢者はこういう体になるのだなあ、などと感慨にふけったり。あと、左手は中指と薬指の根元が突き指したように痛くなった。何度考えても空手で突き指した覚えはないので不思議だったが、まさか肝炎の症状だとは思わなかった。
1月2日
肩こり、頭痛、食欲不振が続く。実家ではおせち料理が待っていたが、あまり食べられない。母親には肝炎のことは黙っていたので、「腸炎の後遺症で食欲がわかない」とごまかしておく。
この日、母親を強引に誘って有馬温泉に行く。湯治すれば肩こりや関節痛は軽くなるかもと思ったのだ。(本当は、急性症状には湯治はよくないと思う。)雪の残る温泉街をぶらぶらして、金の湯に入った。ずいぶん混んでいた。効いたのかどうか分からないが、肩こりと関節痛は翌日に突然消えていた。
1月4日
総合病院が開いたので、受診する。なんとALTが2200まで上がっている。年末年始のALTの動向が分からないので、いったん上がって下がり始めているのか、上がり続けているのか、医師も判断に苦しんだようだ。入院を勧められたが、年末年始よりだるさが改善しているので、と言って強引にいったん帰宅した。
このとき頭にあったのは、入院するとおふくろに病名を知られるということ。少し調べればB型肝炎が性感染症であることはすぐ分かるし、もともとおふくろは肝炎に妙な偏見を持っているのだ。
帰ってから知人の医師に話してみると、劇症肝炎の恐ろしさを説明され、入院しなさい!と叱られる。親や職場のことを考えているのなら、ごくまれには性感染症ではない感染経路もあるのだからと諭される。(例えば、銭湯で自分の持ち込んだかみそりを、知らないうちに誰かが間違って使っていた、とかかな。かなり確率は低いストーリーだけど。)
それで考えが変わって、即日入院する。
入院して気がゆるんだのか、夕方から気分が悪くなり、ほとんど寝ていた。熱も37度5分くらいの微熱が続いた。
長くなったので、続きは「経過編2」へ。]]>
B型肝炎にかかった(症状編)
http://blowin.exblog.jp/15832979/
2011-01-28T16:37:00+09:00
2011-01-28T17:18:33+09:00
2011-01-28T16:38:01+09:00
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B型肝炎。ご存知だろうか。
B型肝炎ウイルスによって起こる感染症。昔の予防接種の注射針の共用から感染した被害者の裁判がニュースでちょうど流れているが、現在の感染はほとんどが体液を介したもの、早い話が性行為感染である。
性感染症の中では、「治る」病気のせいか今ひとつインパクトがないが、急性肝炎を発症するとさまざまな不快症状が起こるし、ごく少数だが劇症化すれば死亡者も出る。そして、今回調べて初めて知ったのだが、体液を経由すると非常に感染力が強い。ウイルスの遺伝子が10個も血液に入ると感染してしまうらしい。
生々しい話をすれば、先走りだけでも十分感染する。先走りも精液も、もとは血液だからね。こんな統計あるわけないだろうが、先走りも一切相手の体に入らないようなエッチをする男は、100人に1人くらいじゃないだろうか。つまり男でも女でも、相手が男でも女でも、およそエッチをする人はすべてかかる可能性があるってこと。
さて、症状だが、俺はほかの病気で免疫が落ちているときに発症したせいか、B型肝炎によって起こるといわれる不快症状をほとんどすべて経験した。もう不快症状の百貨店状態。どんな症状があるかというと…。
* 倦怠感(だるさ)
肝炎の代表的な症状。とにかく疲れる。発症当初は病気に気づかず仕事に行っていたが、仕事しながら何度もため息ついてると人から指摘された。仕事帰りには連日ぐったりするくらいの疲労感だったが、自分ではストレスのせいだと思っていた。
* 熱、頭痛、吐き気、めまい
風邪のような症状といわれるやつ。ウイルスが多い期間は、微熱が連日じくじくと続く。午前中は体調がましだが、午後になると決まって具合が悪くなり、ちょうど乗り物酔いしたときのような気持ちの悪さと頭痛が続いた。
* 下痢、腹部膨満感、食欲不振
下痢は3週間くらい続いた。加えて、腹の上のほうが詰まって張ったような感じになって、ものが食べられない。正月に実家で母親に食え食え攻撃を受けたときが一番つらかった。(母親には病気のことを黙っていたので。)
* 発疹
赤い発疹が下半身を中心に無数に出て、これが猛烈にかゆい! 我慢なんてレベルではない。服がこすれてもかゆいから、歩けずに立ちすくむくらい。掻いていたら、太ももなんか発疹同士がつながりあって翌日には一面真っ赤になっていた。これは大人には出にくい症状らしく、ドクターも原因が分からないと言っていたが、Google先生でよく調べたら不快症状の一つにちゃんと挙がっていた。このかゆみにはアレルギー用の薬が劇的に効いた。
* 関節痛、首と肩の凝り
足首、ひざ、股関節、腰、手首、指の関節が痛くなった。特に下半身がひどく、ひざに手をついて老人みたいに「どっこらしょ」と力を入れないと立ち上がれなかった。首と肩はまるで寝違えたように突然ガチガチになって首が回らなくなり、そのときは頭痛もひどかった。どちらも数日続いたあと、ある日を境に突然うそのように消失した。
* 黄疸
原因になるビリルビンが血液検査で上がり続けていたので、覚悟はしていたが、やはり白目が黄色くなったのはショックだった。
* 全身のかゆみ
発疹が消えてからも、今度は黄疸の付随症状で全身のかゆみが続いた。昼はましだが、夜になると決まって体じゅうがかゆくなるので、眠れない。特に手のひらや足の裏という普通あまりかゆくならない場所が一番かゆかった。こちらのかゆみには薬があまり効かない。後半の症状ではこれが一番つらかったかも。
* 皮膚のトラブル
全身の皮膚が、なんと言うか、ガサガサになった。うるおいゼロって感じ。あと、吹き出物が顔にブツブツできる。
結局俺は肝機能が一番悪いときに入院したが、肝機能が2週間たっても改善せず、まもなく入院期間が1ヵ月になろうとしている。さすがに仕事にも影響が出るし、ストレスもたまる。せっかく金と時間と労力を費やして鍛えた体も、みるみるしぼんで見る影もなくなっていく(兄貴や姐ェ様がたの悲鳴が聞こえそうだ)。腹立たしくても、あせっても、自業自得である。
しかし、このような病気の存在に対して、俺たちはどう行動すればいいのだろう。今回のことではそのことをいろいろと考えさせられた。
風俗にも絶対行かない、たった一人のパートナーとしか性交渉を持たない。こういう生き方が正解だという人もいるだろう。ともすると道徳的にも正解だという圧力を感じる生き方だが、これを全員に当てはめるのは現実的ではない。それに、これだって完璧ではないよ。パートナーの行動は自分の管理外なのだから。
その対極には、病気にかかったら運が悪いのだと考えて好きな行為を思う存分する人もいるだろう。だが、こんな人もごく少数派だということはみんな分かっている。
大多数の人は、行動の「制限」と、リスクの「減少」を天秤にかけて、一応の答えを出しているのだろう。一般的に、行動を制限すれば、リスクは減少する。
では、あなたのその「リスク」に関する知識は、正しいだろうか?
今回いろいろ調べて分かったことは、B型肝炎についてお役所や病院が書いた百科事典的な情報は多いが、普通に生きている個人の体験記が少ないということ。特に、新規感染して急性肝炎になった体験はほとんどない。(ほとんどが元から慢性肝炎を持っていた人の記述だ。)
まあ、大きな声では言いにくい話だもんね。
そこで、恥をしのんでここに書いた次第である。これを読んだ未感染者の方は他山の石としていただきたいし、感染が分かった方や現在闘病中の方は、参考にして不安を和らげる足しにしてもらえたらと思う。
最後は固い話になってしまった。ありがとう。]]>
12/23 年の瀬
http://blowin.exblog.jp/15655955/
2010-12-23T23:57:00+09:00
2010-12-24T00:21:45+09:00
2010-12-24T00:21:45+09:00
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すっかり更新もご無沙汰しています。
実は6月末に引っ越して以来、速度の遅いポケファイと案外長文の打ちにくいiPadだけが頼りになっていまして。
あとは、そうですね、ここに公表した同居生活が1ヵ月半で終了したことを書くのが億劫だったことも大いに関係しています。こちらの努力ではどうしようもない不可抗力により、8月に相方が出て行くことになってしまいました。その時点では一時的な同居解消のつもりだったのですが、結局相方は「結婚をしたい、相手はこれから探すけど」と言って去っていってしまいました。2年間という、この世界では短くはない期間つきあって、そういう大事なことを一人決めして一方的に去っていくことができるものなのかね、と不可解ではあったのですが、翻意させることはできませんでした。(複数の友人たちからは、「それは口実だよ」というありがたいアドバイスをいただきました。はい、自分もそう思います。)
そのことでは8月から数ヶ月にわたりひどいストレスを味わい、同時に職場にも愛想が尽きてストレスフルな日々を送っていたのが、とうとうここへきて目に見える形で出てきてしまいました。腸炎で寝こんだあと、止まらない下痢、原因不明の発疹と、12月は低空飛行の日々です。
新年は心機一転、元気を出していきたいと思います。
それでは皆さん、ステキなクリスマスを。]]>
7/3 祝福のかげで
http://blowin.exblog.jp/14711145/
2010-07-03T23:59:00+09:00
2010-07-04T17:00:32+09:00
2010-07-04T17:00:32+09:00
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というか、あなた、自分が一時は「同じ空気を吸うのもいやなほど」彼女に嫌われてたことに気づいてた?
二人の友達が50名近く集まって行われた二次会では、いわゆる「空気を読みかねる」発言の多い彼が、不用意な言葉で彼女を毎週のように泣かせているという事実が白日のもとにさらされた。おそらく、その瞬間その場の全員が、「彼は嫌われていることに気づいていなかったからこそプロポーズができた」と同意したことだろう。
彼女の心の壁を突き崩した彼の偉業だけがたたえられ、彼女が結婚に踏み切った一大決心が誰にも理解されていないことに、彼女は少々不満のようではある。しかし、根は優しいのにどことなく最後の一線で人を寄せつけない雰囲気を持っていた彼女がこれをきっかけに変わるとしたら、すばらしいことなんじゃないだろうか。
ともあれ、彼女がみんなの前でユーミンの「aniversary」なんて大甘の歌を披露する日が来るとは、想像もできなかったよ。
彼女が結婚式で親に宛てた手紙を読んだシーンを、あとでビデオで見せてもらった。
やっぱり最後は泣いていた。うん、俺が親だったら、その瞬間すべての親不孝を忘れるだろうな。
まわりを巻き込んでえらいドタバタを演じたわがまま娘も、やっぱり結婚式で親に宛てた手紙を読んで泣くと、誰もが許して祝福しておめでとうだったっけ。
とてもうらやましい瞬間だと思う。
実は、俺も今月から相方と一つ屋根の下に住むことになった。もちろん、事情を知る数人の友達のほかは誰にも言えない。相手の親は子供が寮に入ったと思っている。俺のおふくろには部屋の保証人になってもらうために正直に話したが、協力はするが今は相手には会いたくないとのことだ。
男と女が正式に籍を入れ結婚式を挙げれば、周囲の人間は末永くと祝福し、絆がほころびそうになれば支えてくれる。それでも切れる絆も少なくない。ひっそりと誰にも顧みられずに結ばれ、一番近しい人に反感をもって受け止められる俺たちの縁は、俺たちがしっかりしなければどこへ行ってしまうだろう。
「次は君やな」といわれるたびに、あいまいな笑みを浮かべていた今日の俺である。]]>
4/16 雨の日に思うこと
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2010-04-16T16:07:00+09:00
2010-04-18T16:26:54+09:00
2010-04-18T16:26:54+09:00
ride_on2002
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このところ雨のたびに思うのだが、道を行き交う人のさしている傘に、コンビニなどで売っているビニール傘が多くなった気がする。
出先での急な雨のときに安価で買えるのは便利だし、風で裏返って壊れたりしても、電車の中で忘れても、行きがけに降っていた雨が帰る途中でやんだ場合に捨てていっても惜しくないのかもしれない。
でも、気に入ったデザインの傘を大切に愛着を持って使うほうが、いいのではないかなと思ったりする。
おふくろは、若いころ結婚したての親父に買ってもらったオレンジ色の傘を電車の中で忘れてなくしたことを、今でも惜しそうに話す。俺も今の傘は、駅のホームに忘れたり電車の中で忘れたりと何度かお別れの危機に瀕したことがあるが、運よくそのたびに取りに戻ったり忘れ物センターの係員の手を煩わせたりして、手元に戻ってきている。ビニール傘だったら、多分自分のものか他人のものかも見分けがつかなくて、それっきり手元からも記憶からもなくなってしまっていただろうと思う。
俺の知り合いの女性には、いつもバッグに折り畳み傘を持っている人がいる。雨の日は、その折り畳み傘をバッグに忍ばせたまま、別の傘をさして出かける。折り畳み傘は、誰か傘がなくて困るかもしれない人に貸すための傘なのだそうだ。
人を見る目が厳しく、きらいな人とは目も合わさない女性の、意外な優しさ。さらに意外なことに、彼女は一番きらいだったはずの男性からの3年におよぶプロポーズの末に、とうとう結婚することになった。友人知人一同がのけぞるほどびっくりした話である。
心優しい女性を手に入れた彼には、ぜひ幸せにしてあげてほしいものだ。]]>
1/20 異動
http://blowin.exblog.jp/13535790/
2010-01-20T23:27:00+09:00
2010-01-20T23:29:50+09:00
2010-01-20T23:27:29+09:00
ride_on2002
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去年の年末には「異動は難しいかもしれない」とまで言われ、「そうなったら辞めるでしょうね」と答えたいきさつもあったが、年が明けてから急転直下、大阪への移籍の連絡が来た。
今望みうる最良の異動ではある。新天地には期待もある。だが、都落ちの思いは打ち消せない。幾人かの先輩諸氏から「そんな考え方はするな」と言われたが、やはり俺にとっては都落ちなのだ。
きっとこれからも京都に住み続け、京都で仕事をするだろうと、俺は思っていた。今の職場は会社の中で飛び地のようになっていて、希望を出さない限りここから異動をさせられることはない。京都は本当に四季の美しい街だ。俺の家の周りだけでも、春先の神社の梅、桜並木、夏の大文字、秋の東山三十六峰の目のさめるような紅葉、冬の時雨や雪景色、と季節を感じるものに事欠かない。学生時代はきらいだった京都が、今は俺にとって離れがたい街だ。
あんなことがなければ、みずから異動を願い出ることなど、なかっただろう。
しかたがない。古い縁を切れば新しい縁が結ばれるだろう。今はそれに期待をかけるばかりだ。]]>
12/2 月冴える
http://blowin.exblog.jp/13129555/
2009-12-02T23:29:06+09:00
2009-12-02T23:29:03+09:00
2009-12-02T23:29:03+09:00
ride_on2002
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俺のアパートのまわりは、二階建ての民家ばかりで高い建物がない。まあうちだって二階建てなのだが、屋上にあがるとまわりは瓦屋根ばかりで、それが月の光を反射して銀色に光っている。
数軒の屋根の先は、大文字山に連なる小高い丘だ。丘をおおう森の木々の梢が、まるで雪でも積もったかのように月光で白く光っている。その白さが際立つせいで、森の奥は黒々と暗く、まるで何か秘密を隠しているようにうっそりと静まり返って夜空に黒くたたずんでいる。
「願わくば花の下にて春死なむその如月の望月のころ」といえば西行法師だが、俺は空気が澄みきって冷たく満月が冴える真冬の夜がいいな。生き物がすべて息をひそめ、月光の下に黒く沈んだ森の奥から凍裂の音が聞こえるような、そんな夜がいい。]]>
11/20 今日のユーレカ
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2009-11-20T23:57:00+09:00
2009-11-30T01:16:38+09:00
2009-11-30T01:15:43+09:00
ride_on2002
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定番は5分ほど歩いた先の「やよい軒」である。ご飯がおかわり自由なのがうれしい。そして今の境遇をグチり、次の仕事をどうするのかとため息をつき、最後に上長が「君は早く論文を書いて業績を作るように」と言って終わる。
今日はおかずに冷奴がついていた。そして、やよい軒のテーブルのソースと醤油は一見まぎらわしい。口に入れるまで、ソースをかけたことに気づいていなかった。
自信を持って言うが、冷奴にウスターソースはやめたほうがいい。不思議な味覚のデジャヴが訪れて、記憶の糸をたどってみると、その先にあったのは「イソジン」だった。
ユーレカ! 冷奴+ウスターソース=イソジン!!!
「プリンに醤油をかけたらウニの味」とか、「アボカドにわさび醤油でトロの味」とか、二つの食材を組み合わせると違う食べ物の味になること、ありますよね。俺の今日の発見、「冷奴にウスターソースでイソジン味」!
でも、よく考えると、ウニやトロの場合、「安い食材+安い食材=高級食材」となるのが醍醐味であるわけで、俺の場合「食品+食品=非食品」となっているのが残念なところではある。
なお、一度ソースをかけた冷奴は、その上から醤油をかけてもリカバリーはできないので、あしからず。]]>
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